東大阪の史跡・神社・仏閣巡り 


東大阪むかしむかし
その24 ゆく舟くる舟、徳庵の堤
その23 河内のおっさんのルーツはもののべのこどもたち
その22 ヨシモト・マンザイ・イケノシマ
その21 弾正どのは大悪人
▼水走る、やしろの武士団
その19 生駒の山に鬼が出た
その18 かわちのすもう四十八手
その17 翼よ、あれが生駒の山だ!
▼その16 織田信長の首をとれ!
▼その15 ここ(東大阪)から日本がはじまった
▼その14 蓮池の曼荼羅(まんだら)
▼その13 山の根に怪しの火ともる姥ヶ池
▼その12 河内のしごといまむかし ▼その11 若武者、河内野に散る
その10 生駒山麓神々賑(いこまのやまねき、かみがみのにぎわい)  
▼その9 河内のドン楠木正成と忍者? その8 東大阪、はじまりのはじまり
▼その7 かわちのきつねのものがたり  ▼その6  山のふもとに祭りの季節
▼その5 七墓参りで極楽往生  
▼その4 暗峠(くらがりとうげ)の「忠犬・シロ」のものがたり
▼その3 東大阪にハリウッドがあった! ▼その2 ないりがふちの内助さん
その1 河内(かわち)のくには河のなか  

▼若江木村通って?
東大阪市若江南町1丁目には「若江木村通」という交差点があります。
なぜ「木村通」となっているのか気になって調べてみました。
▼野鳥の里(恩智川治水緑地)周辺
東大阪の市街地で野鳥観察のできるスポットがあるのをご存知ですか?

近鉄奈良線:東花園駅を下車し、恩智川の遊歩道を八尾方面にしばらく歩くと「恩智川治水緑地」があります。
▼長瀬川の渡シ地蔵(長瀬川)
高井田元町に渡シ地蔵と言うお地蔵さんの祠があります。
長瀬川が府道702号線と交差する場所(高井田元町2-29)から西へ2筋目の道を少し入った住宅街の一角にその祠はあります。
▼東大阪が東洋のハリウッドに??? なっていたかも知れないお話!
東大阪の地にかつて映画の撮影所があったことをご存知ですか・・・・?
近鉄大阪線:長瀬駅から長瀬川沿いに北へ500mほど行ったところに樟蔭学園の樟徳館(国の登録文化財)という建物があります。

その建物の前に架かる橋の欄干に下記の標識がついています。

▼御厨天神社と樹齢800年のクスノキ
神様の宿る木、まさに神木と呼ぶにふさわしい大木が東大阪にもあります。
目を閉じて幹に触れていたら、神様のお告げが聞こえてくるような感じがしました。
▼日本の道100選に選定されている古の道:暗峠
枚岡駅(近鉄奈良線)の石段を上がり、線路沿いの道を額田駅(近鉄奈良線)方面に進むと「建設省日本の道 100選」に選定されている『暗峠』へと通じる国道308号に出ます。
▼「樟徳館」”大正ロマン”の時代の名建築
近鉄大阪線「長瀬」駅より長瀬川沿いを北へ徒歩5分ほど歩いたところに、樟蔭学園所有の「樟徳館」と言う屋敷があります。

見るからに門構えも立派な木造の豪邸なんですが、国の登録有形文化財に指定されている建物なんです。

▼府立中央図書館
荒本の本庁の隣にある府立中央図書館。 人文、社会、自然科学に関する図書、児童書など約30万冊の図書資料を開架する大規模な総合図書館です。 蔵書数は約130万冊です。
 ▼夫婦塚古墳  
【東大阪歴史】
古墳時代後期につくられ、現在7基が残っています。
墳丘の周囲や墳頂部が削られていますが、もとは円形を2つあわせた双円墳と考えられ、両方の墳丘には、横穴式石室式が築かれています。
▼神武天皇ゆかりの古道「日下直越」
前から行きたいと思っていた日下直越に行ってきました。
(尾崎さん、資料ありがとうございます)

この東西に通る山道は、生駒山系まるごとハイキングマップには描かれてませんし、国土地理院25000分の1地図にも描かれてない部分が多い道です。
▼天然記念物 日下のヒトモトススキ
ヒトモトススキは,暖かい地方の海岸近くに生える多年草。
ススキという名がつくが,イネ科ではなくカヤツリグサ科。
草丈は高く人の背丈ほどになる。
茎の途中に何段もの花序がつき,花柄を伸ばして小穂をつける。
和名は一本の株の根元から多数の葉が出ることによるといわれる。
▼長尾の滝
おはようございます。

昨日は、生駒山登山に向かう途中に、東大阪市山手町の天龍院にある、「長尾の滝」を見てきました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼枚岡の森の『姥が池伝説』
背中に妖気のようなものを感じて、ハッとして振り返りました。
振り返ったそこには、小さな池が静かに横たわっていました。
視線を少し上にあげると、池のほとりの少し上のところに小さな祠も祀られていました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
 ▼辻子谷水車郷
昨日、郵便局へ行く前に知人の家に寄り久々に辻子の水車小屋をのぞきに来ました。
ここは製薬会社が水を綺麗にするために建立したと伝えられました。
▼川中家と屋敷林 
近鉄東大坂線:吉田駅北側すぐの所、マンションに囲まれたような狭間に『今米公園』があります。

今米公園の北側に隣接する森のような屋敷林のある家が川中邸で、 大和川付替工事に功績のあった中甚兵衛ゆかりの家です。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼渡シ地蔵(長瀬川)
高井田元町に渡シ地蔵と言うお地蔵さんの祠があります。

長瀬川が府道702号線と交差する場所(高井田元町2-29)から西へ2筋目の道を少し入った住宅街の一角にその祠はあります。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼新喜多新田と暗越奈良街道
街は日々その姿を変えて行きますが、少し気をつけて街歩きをしていると、そこかしこに歴史の息吹を感じさせてくれる、歴史の遺物が結構残されているものです。

長瀬川沿いに北へ進むと新喜多地区があります。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
この地は『新喜多新田』と名付けられた、旧大和川の川床を埋め立て新たに開墾された新田の跡地なのです。
▼文明開化の町 御厨
暗越奈良街道沿いに発展した御厨は、明治時代になると、この付近の中心的存在になります。

チョンマゲはザンギリ頭になり、和服から洋服になり、暦も月を中心とする太陰暦(旧暦)から太陽歴に変わりました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
御厨の村は、古くから大坂と奈良を結ぶ、暗峠越奈良街道筋にあたっていて、街道筋の村々には、本陣札を残す家があります。

御厨の植田家もその一つで、大名の休息所である事を示す「片桐石見守(かたぎりいわみのかみ)」「松平甲斐守(まつだいらかいのかみ)」の門札が残されています。
▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼中小阪の石造地蔵菩薩半跏像
中小阪3丁目に『中小阪地蔵堂』があります。

地蔵堂内に安置される地蔵菩薩像は岩座を含めて高さ106cm・座高72cmを測り、左足を蓮華台にしつらえ、左足を安座し、左手を左膝の上に置いた「半跏像」です。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼中小阪村と愛宕社
  中小阪村の地形は、東西に長く、西は長瀬川(古大和川本流)が流れ、彌榮神社(いやさかじんじゃ)のすぐ西に支流(大雨時に川になり、いつも水が流れている川でない)が流れていました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼真言宗鷲尾山興法寺
土曜の生駒山散策(雨天)

辻子谷道中で立ち寄った、真言宗 鷲尾山興法寺
(古くは鷲仙寺祇園院)

役行者の開基と言われるこの寺院の本尊は、三面十一面千手観世音菩薩像で藤原時代初期の作とか

春はしだれ桜が綺麗で、これからは紅葉が綺麗になります
▼稲田八幡宮といちょうの木
古来より巨木には、神様が宿っていると言われています。
稲田八幡宮にも巨木があると聞いて、訪れてみました。

その神社は旧稲田村の名残を色濃く残すような、細い村道の入り組んだところにありました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼鴨高田神社
近鉄奈良線:河内永和駅北200mのところに『鴨高田神杜』があります。

参道の両側には、石燈籠が累々と並んでいて、緑豊かな広々とした境内には、思わず姿勢を正したくなるような、厳かな空気が漂っているように感じました。

▼彌榮神社(いやさかじんじゃ)
こちらの神社も、中小阪の旧村の中にある神社です。
現在の長瀬川からは少し外れた場所になりますが、位置としては旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王(ごずてんのう)と称されていました。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 
▼百済山長榮寺
近鉄奈良線:河内永和駅の北へ歩いて23分の所に「百済山 長榮寺(くだらさん ちょうえいじ)」があります。

聖徳太子の創建の寺と伝えられています。▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 ▼市指定文化財 植田家住宅 一棟 

▼幻の城 若江城
 この若江の地に戦国時代にお城があったのをご存知ですか?

現在の若江公民館・若江幼稚園・若江小学校がある一帯を中心にして城が存在していたそうです。